2010年10月21日木曜日

Amazonクラウド無料お試しサービスが11月1日より開始

今日発表になりました。11月1日より、AWSの各種サービスが1年間無料で試用することができるようになります!
といっても、全てが無料ではなく、上記のような条件を満たす範囲でのみ無料となります。しかも、注意書きにあるように、新規にサインアップしたユーザのみ対象であって、すでに利用している方々は対象外となります。すでに利用している方で無料で使いたい場合には、新たにAWSアカウントを作る必要があります。

新規アカウントを作成する際にはクレジットカード情報が必要なので、気軽に試せない雰囲気がありますが、それでもまずは試しに使ってみようという方々には朗報なのではないでしょうか。

2010年10月17日日曜日

オリンピック国立公園

もう2ヶ月も前になりますが、夏休みにオリンピック国立公園に行って来ました。太平洋に面した半島にあって、シアトルから西に車とフェリーで4時間ぐらいのところにあります。

大きな地図で見る
この国立公園は世界遺産に指定されているだけあって、とても素晴らしかったです。国立公園の北に位置するポートエンジェルスという町から西に半時計回りにぐるっと3泊4日で周ってきました。

ハリケーンリッジ
まず初日は、ポートエンジェルスから30分で行けるハリケーンリッジに行きました。息を飲む様なオリンピック山脈の氷河のパノラマ。その素晴らしさは写真でもなかなか伝わらない気がします。


ソルダック温泉
二日目は、クレセント湖を経由してソルダック温泉に一泊しました。クレセント湖周辺にもトレイルがいくつかあって、ちょっとした散歩ができました。
渡米して1年半以上経ち、私たち家族は日本の温泉が恋しくてたまりません。というわけで、このソルダック温泉には過剰に期待してしまったかもしれません。(笑)やはり、残念ながら日本の温泉とは異なり、水着着用でほとんど温水プールでした。ただ、硫黄の臭いがしていたので、温水そのものは本当の温泉のようでした。真夏とはいえ肌寒かったので、暖かいお湯が気持ちよかったです。
この温泉は宿泊施設になっていて、独立したロッジが並んでいます。私たちはそのうちの一つに泊まりました。空気が美味しかったです。
Hoh Rain Forest
3日目はHoh Rain Forestを探検(?)。夏以外は降水量がとても多いために、森の木々にはたくさんの苔がついていて、初めて見る光景でした。

最終日はビーチに宿泊
Hoh Rain Forestを探検した後、KalalochというビーチにあるロッジKalaloch Lodgeに泊まりました。ビーチといっても寒いのでとても海水浴をする気分にはなりませんが。この海の向こうには日本があるんだよなー、と想いながら夕日を眺めていました。


密度の濃い国立公園
最終日は、午前中にQuinault Rain Forestに立ち寄ったあと、オリンピア経由でシアトルに帰りました。

上記の様に、今回の旅行ではオリンピック国立公園を子連れ家族としては最大限満喫しました。氷河、湖、温泉、森林、ビーチ、、、。オリンピック国立公園はこれら全てがある、とても珍しい国立公園と言えるのではないかと思います。日本からシアトルに観光にいらっしゃる方々はたくさんいらっしゃると思いますが、ダウンタウンだけでなくレンタカーを借りてオリンピック国立公園にも是非訪れることをお勧めします!

2010年8月5日木曜日

Amazon Web Services日本語サイトオープン!

AWS(Amazon Web Services)では日本へのサポートの強化を進めています。そんな中、今日AWSの日本語サイトがオープンしました!

AWSのトップページhttp://aws.amazon.comから、画面右上の"English"を"日本語"に変えることで辿りつくことができます。

ざっと見たところ、詳細な技術情報(マニュアル等)はまだ日本語訳ができていないようですが、概要を掴むのに十分なページ群が全て日本語訳されています。今後も精力的に日本語訳が進められていくことを期待したいですね。


日本語・英語バイリンガルサポートエンジニア募集中(勤務地シアトル)
ちなみに、今年の5月ぐらいから日本語と英語が両方使えるAWSサポートエンジニアを募集中です。今日、募集案内が更新されていました。

https://us-amazon.icims.com/jobs/116565/job?in_iframe=1

勤務地はシアトルの本社のようです。海外を問わず、Amazonでは引越し費用等全て負担してくれます。クラウドコンピューティングに興味のあって、英語が堪能でいらっしゃるエンジニアの方がいらっしゃいましたら、是非応募してみてください。(募集案内を読んでみると、要求が高すぎる気がしますが。。。)

2010年7月3日土曜日

Amazon.com新本社キャンパス

5月末に初出勤してから、早くも1ヶ月が経ってしまいました。新しい仕事環境で学ばなければならないことがたくさんあって、毎日があっという間に過ぎていきます。

South Lake Union
そんな毎日を過ごしている私のオフィスは、シアトルのダウンタウンの北に位置する、South Lake Unionにあります。現在Amazonはここに11の新本社ビル群を建設中で、私のオフィスがあるビルをはじめいくつかのビルはすでに完成しています。


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Amazon新キャンパス
以下の写真が私のオフィスのあるビルです。Amazon Web Service関連のエンジニアはほぼ全員このビルに集結しているのではないかと思います。
このビルの裏に、とても背の高いビルを現在建築中です。これもAmazonのオフィスビルになるそうです。
真向かいにもAmazonのオフィスビルがあり、それらのビルに挟まれるようにVan Vorst Buildingというシンボル的なビルがあります。このビルには大きな会議室やロビーがあり主にイベント等に使われています。私の所属するチームのミーティングもこのビルで行われたりします。
「Amazon.com」の看板いっさいなし
ちょっと面白いのは、このキャンパスのどこにも「Amazon.com」の看板が一切ありません。おそらく、これらのビル群がAmazonの新本社ビルだということを周りの人は知らないんじゃないかと思います。実際、前回紹介した旧本社ビルにも、入り口のドアの上に目立たない同じ色で「Amazon.com」と書いてあっただけです。また、「Amazon.com」と書いてあるTシャツを着たりするような社員は一切いません。

インターネット時代を代表するIT企業の場合、本社キャンパスに目立つ看板があったり、社員が会社名の入ったTシャツを着たりしているのをよく見かけますが、Amazonに関しては違います。会社の方針として、レターヘッドや名刺等に対してもコストをかけない、というようなことが示してあったような覚えがあります。Customer Centric Companyとしてコスト削減の努力を惜しまない、といったところでしょうか。

2010年6月2日水曜日

初出勤

先週の月曜日にAmazonへ初出勤し、アメリカでの新しいキャリアがスタートしました。GMUを卒業してしまったので、このブログのタイトルはとりあえず「kojihashi at Seattle」に変えます。(もっとかっこいい名前にしたいなあ)

Pacific Medical Center
まずは午前中に新入社員向けオリエンテーションが、Amazonの旧本社ビル、Pacific Medical Centerでありました。このビルはもともと病院だったそうです。

このビルはシアトルのダウンタウンのはずれの丘の上にあるため、そこからダウンタウンへの眺めがとても素晴らしいです。
午後から配属
オリエンテーションで社員バッジを受け取ったり諸手続きをした後、いよいよAmazon EC2に配属となりました。現在Amazonはダウンタウンの北にあるSouth Lake Unionに新キャンパスを建築中で、上記ビルから本社を段階的に引越しています。私のオフィスのあるビルは既に完成していたので、新築ビル、新しい机、新しいコンピュータで新しいキャリアをスタートすることができました。

まずは慣れないと
人生2度目の新入社員ということで、新しいことばかり。まずは焦らず慣れていこうと思います。

2010年5月23日日曜日

シアトルへ引越し

GMUの卒業式の後、息をつく間もなく5月17日の月曜日に引越し屋さんが来ました。
2008年の夏に渡米してきてから、GMU卒業後にはきっとどこかに引っ越すことになるだろうと、家具その他をほとんど購入せずにいたので、私達の荷物はとても少なかったのですが、それでも上の写真のようなとても大きなトラックで引越し屋さんがやってきました。昼食の際に運転手さんとお話したところ、どうやら同じ足で東海岸を縦断し、3件ほどの引越し荷物を混載して西海岸に向かうとのこと。トラックの大きさに納得です。

上記のように荷物の量はたいしたことがなかったので、3人のクルーであっという間に梱包してトラックに積んでしまいました。とても仕事が速かったです。


アクシデント
毎度のことながら引越しにはアクシデントがつき物。今回は、重要なイベント(アパートの契約等)での支払いに重要な銀行の小切手を手荷物に入れ忘れ引越し荷物に詰め込まれてしまいました。これはまずい、と焦ったのですが銀行に行って相談したところ、臨時の小切手3枚を発行してくれました。シアトルでの新居の契約はなんとかなりそうです。

シアトルへ出発
その日と次の日の夜はワシントンダレス空港の近くのホテルに宿泊し、5月19日の朝のフライトでシアトルに出発しました。このフライトはとても朝早かったにもかかわらず、家が近いからと、妻の友人夫妻が見送りに来てくださいました。最後の最後まで人の繋がりのありがたさを痛感しました。本当にありがとうございました。
 シアトルに着くと、天気予報に反してとても良い天気でした。6月中旬まで滞在する仮住まいアパートはシアトルダウンタウンにあります。レンタカーでダウンタウンまで行き、無事に入居することができました。

新居決定
シアトルに到着した次の日、前もってめぼしを付けていた賃貸物件を何件か早速家族全員で周りました。基本的に、シアトルの東にあるBellevueという町を中心に周り、最後に訪問した物件を家族が気に入ったので、そこに入居することに決めました。Bellevueにはシアトル日本語学校があり、この物件からは車で約5分、私の通勤もバスと徒歩合わせて約30分ぐらいと、通勤・通学にも便利そうです。


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みんな元気
私を含め家族全員、体調を崩すことなく元気にしています。季節の変わり目ということで気温の変化が激しいので体調管理には十分注意して行きたいと思います。ここ数日の気温は摂氏10度前後とまだまだ寒いです。

明日Amazon初出勤
いよいよ明日からAmazonでの仕事が始まります。まずは午前中にオリエンテーションということなので、リラックスして臨みたいと思います。

2010年5月22日土曜日

卒業!

修士論文完了後、シアトルに三日間滞在し賃貸住宅探しをしました。その行き帰りの飛行機の中で研究の構想を練り、ヴァージニアに帰ってから三日で実装完了、三日で研究レポート執筆完了、という突貫工事で、履修していたもう一方のコースを何とか無事に終えることができました。

卒業式
そして、晴れて5月13日木曜日、GMU Volgenau School of Information Technology & Engineeringの卒業式を迎えることができました。

スクールカラーの緑のガウンに身を纏い、一人一人名前が呼ばれるとステージまで上がり、Deanと握手、その後所属する学部のChairと握手してステージから降りました。私のときは、研究プロジェクトSASSYのプロジェクトメンバでAssociate DeanのDr. Menasceに名前を呼んでいただき、私のアドバイザでDept. of Computer ScienceのChairのGomaas先生と握手してステージを降りる、という私にとって身近で最高の組み合わせでした。

自分の出番が終わると、あとはひたすら他の卒業生の儀式が終わるのを待つだけ、ということで正直ちょっと退屈でした。。。

Computer Science Award Dinner
卒業式と同じ日の夜には、Dept. of Computer Science主催のディナーがあり、子供達を友人に預け妻と一緒に出席しました。
Gomaa先生の司会の下、私のGPAが4.0だったということでDistinguished Outstanding Graduate Awardをいただきました。とてもうれしかったです。


最後の研究ミーティング、そしてランチ
卒業式の次の日の金曜日には、研究プロジェクトSASSYの私にとって最後のミーティングに出席し研究の引継ぎをした後、プロジェクトメンバとランチに行きました。Gomaa先生が私のために日本食レストランを予約してくれていました。本当にありがとうございます!

あっという間の1年8ヶ月
2008年8月に渡米して卒業まで、本当にあっという間の1年8ヶ月でした。生活立ち上げ、英語、研究、講義、就職活動と、無我夢中でやってきたので、ワシントンDC近郊の生活をほとんど楽しむ余裕がなかったのが心残りです。ですが、一生懸命やっていないと心が落ち着かなかったので、仕方なかったかなと思います。就職が決まったことですし、これからは普通の生活を楽しみたいと思います。

GMU卒業を迎えることができ、これまで私を支えてくださった多くの方々に感謝の気持ちでいっぱいです。そして、こうして良い成績で卒業できるよう集中できる環境を作ってくれた妻と子供達に感謝します。これからは妻子に対し、普通に人並みの(?)生活ができる環境を提供できるよう頑張っていきたいと思います。

2010年5月4日火曜日

修士論文完了!

先週の水曜日4月28日に修士論文のDefense(発表)をして無事合格をもらい、先週の金曜日4月30日、修士論文を提出完了しましたー!

いよいよGMU卒業間近となりました。5月13日の昼間にVogenau Schoolの卒業式です。Dept. of Computer ScienceのOutstanding Graduate Award というおまけも受賞することになり、その日の夜のディナーに招待されたので、子供達を友人に預け、妻と二人で出席する予定です。

あとは卒業式を残すのみ!。。。と言いたいところですが、実はこの春セメスターにもう一つコースを履修しています。通常の講義形式のコースではなく、研究をして成果を「報告書+実装」という形で提出必要があり、全く成果ができていません!かなりやばいです。このセメスターの前半、就職活動に時間を費やしたツケがどーんとまわってきてしまいました。OPT取得の都合上、絶対卒業しないといけないので、この2週間で頑張って何か成果を出したいと思います。

今週の月曜日から、賃貸住宅探しツアーとしてシアトルに滞在中です。下の写真はダウンタウンにある、私が泊まっている老舗ホテルです。明日ヴァージニアに戻る予定です。帰りの飛行機の中で頑張って上記研究を進めなければ。。。

2010年4月24日土曜日

「アメリカの就労ビザが欲しければ留学せよ」を実行した感想

渡辺千賀さんのブログ「On Off and Beyond」では、アメリカ西海岸のサンフランシスコ・ベイエリア、通称シリコンバレーを中心に、IT分野等における雇用にまつわる様々なお話が紹介されています。その中で、「アメリカの就労ビザが欲しければ留学せよ」というエントリがあります。私は、まさにこの助言を実行し成功したことになります。(おかげさまで、H1Bビザの申請が認可されました)

そこで今回、「アメリカの就労ビザが欲しければ留学せよ」を実行した感想を述べたいと思います。(アメリカの就労ビザを取得する何か別の方法と比較するわけではありません)

大学卒業後に与えられるOPTは就職活動上とても重要
渡辺千賀さんによる上記助言の根拠の中心となるのが、以前のエントリでご紹介したOPTです。OPTは外国人に対し非常に就労上重要な条件、すなわち「卒業後に就労ビザなしでも働き始めることができる」という条件を与えてくれます。言い換えると、外国人がアメリカで就職活動する上で不利な状況をかなり和らげてくれます。最終的には、就労ビザを申請するコストが雇用する側にかかりますが、それでも、まずは試しに雇用してもらい自分の仕事ぶりをアピールできるのは明らかに有利だと思います。

英語の訓練・準備ができて良かった
就労ビザが欲しい理由はもちろんアメリカの会社に就職したいから。となると、もちろん仕事は英語でこなすことになります。やはり、いきなり就職するよりも、修士課程の学生として大学で過ごした2年弱は、とてもよい英語の訓練になったと思います。実際、修士課程で履修したコースでは、一方的に講義を聴講するだけでなく、数人の学生とプロジェクトに取り組むこと必要があります。しかもGMUでは、仕事をしながら修士課程を履修するパートタイムの学生が多いため、そのようなプロフェッショナルと一緒にプロジェクトに取り組むことができました。もちろん、リサーチアシスタントとしてGomaa先生と研究をしたり、研究プロジェクトに参加し他の教授と議論したりミーティングに参加したり、と研究活動においても英語の訓練になりました。

また、会社で仕事をするということは、お給料をもらうということでとても大きな責任が伴いますが、 大学での上記プロジェクト等ではそのようなプレッシャーはありませんし、先生やプロジェクトメンバも「Kojiはアメリカにきて間もないから英語が微妙でも仕方ない」というちょっと優しい雰囲気をかもし出してくれたような気がします。

いろんな人とたくさん出会えた
一般に言えることだと思いますが、大学では出会いの場がたくさんあります。まして留学生向けイベントは山ほどあります。会社勤めしているより、大学生の方が出会いの場は圧倒的に多いのではないでしょうか。コネクションの国アメリカ。いろんな人とたくさん出会えるのは重要ではないかと予想します。

文化・考え方の違いを事前に勉強できて良かった
単に日常生活のことを言っているのではなく、ソフトウェアプロジェクトや研究を進める上で、いろいろな国から来ている留学生やプロフェッショナルと一緒に仕事したことで、考え方の違いや、反対に思ったより違いがない事がわかったり、とても良い勉強になりました。また、そういった違いを受け入れる、あるいはあまり気にせず流す心構えができてきたように思います。これから就職して会社で仕事する上で、とても役に立つだろうと思います。

アメリカでの貧乏学生は苦痛
ご存知のように、アメリカにおける学費高騰、医療費高騰、健康保険の問題は、貧乏学生にはつら過ぎです。まして、養う家族がいる私にとっては精神的拷問でした。リサーチアシスタントとして大学からお給料をいただき学費ほぼ全額免除でしたが、あくまでも独身の留学生であれば何とかやっている金額。日本で会社に勤めていた頃にこつこつ貯めた貯金を切り崩しながら、この不景気で卒業後に就職できるのかという不安の毎日。頑張って勉強する/就職活動することが、僕の気持ちを落ち着かせていました。言い換えると、週末に心の底から休むことができなかったような気がします。正直、妻子ある方のアメリカ自費留学はお勧めできません。(苦笑)

感想のまとめ
以上をまとめると、個人的な意見としては、独身であれば「アメリカの就労ビザが欲しければ留学せよ」に強く賛成です。上記のように、最終的に会社に就職して仕事をする上で、留学はとても良い準備期間になりますし、何よりもOPTが就職活動上とても有利に働きます。また、出会いの場がとても多い大学、違う色の目をした運命の人と出会えるかも!?

一方、私のように妻子のある方は、、、相当の覚悟が必要です!
でも、とても苦痛だった分、就職が決まったときのあの瞬間は言葉で表現できないくらい最高です。


2010年4月14日水曜日

米国大学卒業後の就職支援制度:OPT

米国における外国人が米国に滞在しながら会社で仕事をするには、就労ビザH1Bの取得が必要になります。前回のエントリでご紹介したように、H1Bを取得するのは以下のように一般にとても大変です。
  • 1年間に認可されるH1Bビザ数は制限されている
  • 就職先となる会社はビザ申請に10数万円の負担と手間がかかる
  • 4月に申請して認可が降りるのは一般に10月、と時間がかかる
上記に加え、H1Bを申請するには何よりもまず、就職する会社が決まっていなければなりません。また、外国人を雇う会社側の立場になってみると、上記のようなコストや手間をかけてでも雇いたい、と思わなければなりません。以上のように、外国人が米国で就職するのは基本的に大変なことだと言えると思います。

そのような状況の中、米国大学を卒業する留学生にとって上記のような就職の壁をだいぶ下げてくれる制度があります。それがOPT (Optional Practical Training) というものです。

OPT(Optional Practical Training)とは
学生ビザF-1で米国に滞在し大学を卒業した後、F-1ビザのまま米国において就業経験を積むことができる、学生向け教育プログラムだと理解しています。OPTには主に以下のような条件があります。
  • 大学で学んだ分野に関連する仕事をしなければならない。私の場合、Software Engineeringを学んでいるので、ソフトウェアに関する仕事をする必要があります。
  • お給料がないボランティアでもOK
  • Bachelor取得後1年間、Master取得後1年間、PhD取得後1年間、OPTを申請することができる
  • 理系の学部学科卒業生に限り、上記の期間に加え17ヶ月OPTを延長できる(!)
  • 卒業後、就職先が見つかっていなくても、延べ3ヶ月米国に滞在できる(OPT期間中に退職すると、就職していない期間のカウントが再開され、再就職するとそのカウントが止まります。延べ3ヶ月になってしまうと米国に滞在できなくなる、というわけです。)
  • ちょっとしたフライングが可能。例えば、通常のコース履修が完了しあとは修士論文残すのみ、という状況になったらOPTに申し込み就職して仕事しながら修士論文に取り組むことが可能。
  • OPT期間終了後、60日間の猶予期間があり、その間はもう働くことはできないが、米国に滞在し帰り支度をするなり、新しい大学に入学するなり、することができる
ちなみに、OPTを申し込むには$340必要です。貧乏学生にはかなり痛いです。就職先が決まっていて収入が見込まれる場合には良いでしょうが、まずは卒業(修士論文等)に専念し、卒業してから3ヶ月以内に就職活動をして就職先を決める、というちょっと無謀な計画をする留学生もたくさんいるとかいないとか。。。。

OPTの後
もうおわかりだと思いますが、留学生がOPTに申し込む理由は、後にH1Bビザを取得するためです。再度、外国人を雇う会社側の立場になって考えてみると、OPT期間中の留学生であれば、H1Bビザの認可が下りるまで就労開始日を遅らせる必要がありませんし、コストをかけてH1Bを申請する前にお試し雇用ができる、というメリットもあります。また、H1Bを申請したが年間の認可数上限にひっかかった場合でも、次年度に再申請することもできます。なんと、OPT期間中にH1Bを申請後は、H1Bが認可される10月までにOPT期間が終了しても「H1B申請中」ということで米国に滞在し続けることが可能だそうです。以上のように、雇う会社側にとってもリスクを低減できます。

渡辺千賀さんのブログエントリ「アメリカの就労ビザが欲しければ留学せよ」の理由は、このOPT制度にあります。私はまさに、この助言をそのまま実行したことになりますね。

2010年4月9日金曜日

2011年度就労ビザH1Bが無事に認可されそう

おかげさまで米国での就職が決まり、シアトルでの仕事始めに向けて、Amazonが提供してくれる各コンサルタントと連絡をとりながら、新居探しや引越しの日程等を詰めているところです。そのような作業の中で、特に重要なのが就労ビザH1Bの申請でした。

就労ビザH1B
米国における外国人が米国に滞在しながら会社で仕事をするのに必要なビザがH1Bです。私は現在、学生ビザF-1で米国に滞在しています。これから私がGMUを卒業しAmazonで仕事を始めるには、この就労ビザH1Bが必要になります。

ここで一番重要な点は、だれでもH1Bを取得できるわけではない、ということです。年間に米国全体で6万5千人+2万人しかH1Bを取得することができません。なお、この2万人というのは、修士号以上を持った人に当てはまる特別枠となっています。

就労ビザH1B申請手続き
H1B申請受付は例年4月1日からです。そして4月7日までに上記枠が上回った時点で申請受付終了となる、というルールがあるようです。というのは、以前は4月1日の申請受付開始から、あっという間に上記枠を上回る申請が殺到するのが通例だったからのようです。

そして、申請数が上記枠を上回ると、なんと、くじ引きになります!なので、とりあえず4月1日を基準にできるだけ早く申請すべき、ということになります。

私がAmazonからジョブオファーをもらったのは3月22日だったので、ほんの数日後にはAmazonが契約している弁護士事務所から連絡があり、H1B申請手続きを始めました。そのときの彼らの仕事の速さには驚きました。
H1B申請において私は以下のような情報、書類を求められました。
  • 住所、電話番号等の基本情報
  • 家族全員のパスポート、I-20、F-1ビザのコピー
  • 履歴書(職歴)
  • 成績、学位証書のコピー
  • 結婚証明
  • 子供の出生証明(戸籍謄本のコピー)
幸い、上記の書類は全て手元に保管しておいたので、すぐに提出することができ、彼らは4月1日に私のH1B申請を行うことができました。

4月8日現在
2011年度のH1B申請状況は、以下のWebサイトで確認できます。

USCIS - H-1B Fiscal Year (FY) 2011 Cap Season


果たして現在の申請状況は如何に!?上記画像は、上記Webサイトの今日の状況をキャプチャしたものです。「Cap Eligible Petitions」という列が申請数です。なんと、合計8万5千の枠に対し、たった2万弱しか申請がなかったようです。米国における不景気の度合いが、こんなところからも数字で現れていると言えます。

私の就労ビザH1Bは認可されそう
というわけで、くじ引きは行われないことになったはずです。特に問題がない限り、私はH1Bビザを取得できそうです。ひとまずほっとしましたー。

2010年4月4日日曜日

National Cherry Blossom Festival

ここ数日ぽかぽか陽気に恵まれ、ワシントンDCの桜が一気に満開になったとあって、先週の金曜日の夕方に家族でNational Cherry Blossom Festivalに行ってきました。昨年はちょうどこの時期に子供達が風邪を引いてしまい見逃してしまったので、今年こそは楽しむことができてよかったです。
私達が行ったのは、Thomas Jefferson Memorialの北側に面するTidal Basinという湖(?)の周辺で、写真でお分かりのように、この湖を取り囲むように桜が植えられていました。


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日本人として誇らしい
平日にもかかわらず、たくさんの人が訪れていていました。日本人もちらほら見かけましたが、もちろんほとんどの人はアメリカの人ばかり。みなさん、「Awesome!」」Gorgeous!」と感心しながら楽しんでいました。そんな様子を見て、この桜は日本から寄贈されたことを思い出しながら、自分が日本人であることを誇らしく思いました。

2010年4月2日金曜日

春が来た

ようやく寒い冬が終わり、春が来ましたねー。今年の冬は、数十年ぶりという大雪が降ったり、豚インフルエンザが流行ったり、さんざんな冬でした。そんなさんざんな冬に、超氷河期な就職活動に追われ、心身ともに悲惨で寒い季節でした。

でも、そんな私に春が来ましたー!(しみじみ)とても素晴らしい陽気の中、最大の懸念だった就職が決まり、今とても晴れ晴れとした気分です。今日もぐっすり眠れそうです。

2010年3月30日火曜日

就職が決まりました

2010年の新年ご挨拶のあと、ブログの更新が滞ってしまってごめんなさい。5月にGMU卒業を控え、米国での就職を目指し、この1月、2月、3月は鋭意就職活動に励んでおりました。この世界的不況の真っ只中、多くの挫折を味わいながら、高まる不安とストレスの中もがいて踏ん張った結果、とうとう就職先を見つけることができました!

Amazon Web Services, an Amazon.com company

Amazonに就職することになりました。Software Development Engineerという肩書きで、Amazon EC2のチームに参加して、分散コンピューティングに取り組みます。今のところ5月末日を初日に設定させてもらっています。


シアトルに引越し
Amazonの本社はワシントン州シアトルにあります。というわけで、5月中旬にGMUを卒業後、1週間ぐらいの間にシアトルに引っ越すことになりました。日本から飛行機で12時間かかる東海岸に比べ、西海岸にあるシアトルへは日本から飛行機で8時間。ぐっと日本から近くなります!(それほど変わらないのでは、という意見もありますが。。。)一方、バージニアでお世話になった方々とお別れになってしまうのがとても残念です。

ずっとこの日を夢見てきました
2008年の夏に以前勤めていた会社を退職し渡米して以来、先が見えないままGMUリサーチアシスタントのお給料で生活してきたので、就職先が見つかるこの瞬間をずっと夢見てきました。家族にはとてもつらい思いをさせてしまい、とても申し訳ない気持ちでいっぱいでした。今、本当にホッとした、というのが正直なところです。

ありがとうございました
渡米以来、いろいろとご迷惑をおかけしたりご心配をおかけして大変申し訳ありませんでした。同時に、様々な面でサポートしてくださった方々、応援してくださった方々に心から感謝いたします。そして、つらい思いをしながらもサポートしてくれた妻に感謝します。時間がとれなくてお父さんと一緒に遊べないのをがまんしてくれた、欲しいおもちゃを買うのをがまんしてくれた子供達、ありがとう!

新しいスタート
GMUをしっかり卒業して、Amazonでの新しいキャリアをスタートし、これからも精一杯頑張ることが恩返しだと思っています。今後ともよろしくお願いします!

2010年1月2日土曜日

新年明けましておめでとうございます

私と家族にとって、2008年、2009年、2010年の3年は激動の年になることが前もって分かっていました。そしていよいよ、その3年の最後の年を迎えました。2010年は、GMU卒業そして就職の年となります。このブログのタイトルも、今年の5月を持って変えることになるはずです。

2009年を振り返ると
2008年12月に一旦帰国し、2009年1月に家族とともに渡米しました。家族の米国滞在はもうすぐ1年になろうとしています。この1年間、多くの方々にご支援いただき励まされ、今日までやってこれました。心から感謝申し上げます。

振り返ると、時差ぼけとの格闘から始まり、生活立ち上げ、妻の運転免許取得、子供達の予防接種、現地校日本語学校入学、初めての病院・歯医者多忙だった2009年春セメスター、などなど、特に2009年前半は様々な困難にぶち当たり、多くの方々に助けられながらクリアしてくることができました。良く頑張ったと家族を褒めてやりたいです。

学業面では、まずまず満足行く1年だったと思っています。コースの成績は全てA以上で、中にはクラス1番を採ることもできました。研究プロジェクトでも、2つのテーマを同時にこなし、一方については論文を執筆し国際学会に投稿・採択されました。もう一方についても、研究プロジェクトを大きく前進させる成果を出すことができ、近々論文を執筆したいと思っています。これらの成果出しを通じて、ミーティングでもリラックスして発言も普通にできるようになりました。

2010年は
学業面では、残すところあと1セメスターのみです。通常のコースは1つ履修するだけで、あとは研究推進および修士論文執筆です。修士論文のための研究については大よそ先が見えていて、あとは成果を出すのみ、という状況です。というわけで、学業面では特に問題ないと思っています。

一方、やはり大きな課題は就職です。相変わらずのこの不景気のせいで、かなり困難になること間違いなしでしょう。あまり自分の希望に固執せず、柔軟に対応する必要性を強く感じています。この不景気を考慮して、少しずつ自分の目標に向かってステップアップ(転職)していくような戦略が良いだろうと考えています。

気合を入れなおして頑張って行きたいと思います!